カンブリア宮殿

画期的商品&徹底改良で年商1兆4千億円!客の心をつかむ商品を生む「本質研究」の神髄 花王社長・澤田道隆

「感動的便利さ」でヒット連発~1兆円稼ぐ商品作りの秘密

日本の家庭に革命を起こしている新商品がある。今までなかったスプレータイプの食器用洗剤、「キュキュット クリア泡スプレー」だ。洗いにくいところに吹き付けるだけで強力な泡が隙間の奥まで浸透、汚れを分解してくれる。スポンジでこする必要がなく、洗い流すだけでいい。弁当箱のパッキンの溝や手の届かない水筒の奥、洗いにくかったジューサーの刃なども、驚くほど簡単に洗えるようになった。

「キュキュット クリア泡スプレー」は、去年の発売からわずか半年で420万本を売る驚異的な売れ行き。そんな便利すぎる日用品を作り続けてきたのが、月のマークの花王だ。

実は花王の商品、思っている以上にお世話になっている。洗濯用洗剤でおなじみの「アタック」、お風呂掃除に欠かせない浴室用洗剤「バスマジックリン」、さらにヘアスプレーの「ケープ」……。日本の家庭ではなんと年間40個もの花王製品を使っているという。

花王の年商は1兆4500億円。カンブリア宮殿では2007年にも花王を取り上げている。市場規模が大きく変わらない日用品の分野で、花王はこの10年で売り上げを2200億円も増やし、営業利益も倍増の勢いで伸び続けている。

花王は新たな分野でも続々とヒットを飛ばしている。例えば名古屋市にある「名古屋眼鏡」では、花王商品を福利厚生で使っていた。それが仕事の合間の休憩時間にリフレッシュスペースで利用するアイマスクのような「めぐりズム」。パソコン仕事に疲れた目の回復に欠かせないという。内側から蒸気が出て、目のまわりを気持ちよく温めてくれる。

花王社長の澤田道隆は、「めぐりズム」が花王の勝ちパターンを体現する商品だと言う。

「温熱蒸気が出る商品は、世の中にありませんから。世界初のオンリーワンを目指して、使ったお客様が驚いて感動して、『こんなものがあるのか』というのが重要なんです」

花王の基本戦略は、世の中にない画期的な機能の商品を出すこと。実際、今や定番の花王商品も、かつては他にない斬新な商品として売り出されたものばかりだ。例えばシャンプーの「メリット」。1970年の発売当初、フケとかゆみを抑えるという特定の機能を持った画期的なシャンプーだった。2003年に発売されブームとなった「ヘルシア緑茶」も、飲むだけで脂肪を消費しやすくするという、それまでなかった画期的な飲み物だ。

画期的商品をロングセラーに~客の心をつかむ改良はなぜ可能か

© テレビ東京

花王は、生み出した画期的商品を、今度はロングセラーに変えていく。

「育てていきながら大きくする。子供みたいなものですかね」(澤田)

「クイックルワイパー」は1994年、全く新しい掃除用品として売り出された。そんな画期的商品をロングセラーに育てるため、花王が行なったのは徹底的な改良だ。

例えばヘッドの部分。現在普及しているのは細かい凹凸がついたモデルだが、以前はもっとフラットだった。ヘッドの部分だけでも発売以来、改良を続け、ゴミの吸着率を上げ続けてきた。ちなみ最新モデルでは、ゴミをさらに吸着させるため、ヘッドの材質も変えていた。角の部分は柔らかくすることで、隅の細かいゴミまでキャッチできる。そして以前のものより17ミリ薄い28ミリになった厚み。この改良で、今まで掃除ができなかったわずか3センチの隙間も掃除できるようになった。

生み出した画期的商品をロングセラーに変える。その勝ちパターンは洗濯洗剤でも同様だ。まず、巨大な箱が当たり前だった時代に、その既存商品から大きく飛躍した、驚くほど小型の商品「アタック」を発売。話題の商品として一気に注目を集める。そしてそれを一時的なヒットに終わらせないため、毎年のように少しずつ改良し、性能を上げ、ロングセラーに育てていくのだ。

その「アタック」がさらに飛躍的な進化を遂げていた。それが業界初の濃縮液体タイプの「アタックネオ」。5億本を売るヒットの秘密は「初めて『すすぎ1回』を提案させていただいた」(ハウスホールド研究所・半田拓弥)こと。泡を洗い流すためのすすぎは2回が常識だったが、衣服に残りにくい泡に改良し、1回のすすぎで済むようにしたのだ。

今や「アタックネオ」の登場で、新型の洗濯機には「すすぎ1回」ボタンが標準装備されるまでになった。

客の心をがっちりつかむ改良はなぜ可能なのか。その秘密が、東京都墨田区にある花王すみだ事業場・生活者コミュニケーションセンターにある。

ここには客からの問い合わせや要望が実に年間22万件も寄せられる。入ってきた情報は即座にデータ化され、翌朝には全国の花王の部署に届けられる仕組みだ。

和歌山市にあるハウスホールド研究所。柔軟剤の開発を担当する山根有介が、自分の担当した商品名を検索すると、最新の客の声が瞬時に閲覧できる。

「皆様のご意見を生かしていけたらなと思います。その種を見つけるためにも、このシステムを使っていろいろなお客様の声を聞く」(山根)

全社員が日々、客の声と向き合い続けることで、客を感動させるほどの商品を生み出すことができるのだ。

容器で感動させるプロ集団~1ミリの突起がヒットを生む

花王の改良への執念は容器にも及ぶ。例えば、画期的に使いやすくなったシャンプーの詰め替えパックだ。

花王はもう20年間、より使いやすい詰め替えパックをつくるため細かい改良を続けてきた。最大のテーマは、詰め替える時に入れにくくこぼしてしまうことの解消だった。

新型のパックでは、まず新しい詰め替えパックを真っ逆さまにドッキング。両手で折りたたみながら絞り出すと、あっという間に一滴も残さず楽々と詰め替えが完了する。

詰め替えパックを作ったのは包装容器開発研究所。様々な使いやすい容器の開発でヒット商品を支えてきた集団だ。どうやって最後の一滴まで詰め替えられるようにしたのか。稲川義則室長によれば、「ノズルの中に残さないという発想の設計だったんです」。 最大のネックは、詰め替えの最後にノズルの中に液体が残ってしまう現象。最後の一滴を残さない秘密は、ノズルの内側に作られた1ミリほどの出っ張りにあるという。そもそもノズルに液体が残ってしまう理由は、ノズルの内壁に液体が接触し付着してしまうこと。この出っ張りを作ることで、液体がノズルの内側に接触せずに流れ落ちるようになるのだ。

「実際に社長が詰め替えて、ノズルを見ると残っていなかった。『これだったらいいよ』と言ってくれました」(上席主任研究員・岩坪貢)

この詰め替え容器に切り替えて以降、シャンプー「エッセンシャル」の売り上げは1.2倍にアップしたという。会社一丸となった消費者目線の改良が、感動的に便利な商品を生み出したのだ。

ヒットの裏に驚きの研究集団~客熱狂の商品を生み出す秘密

今、女性たちの心をわしづかみにしている花王商品がある。最新の柔軟剤「フレアフレグランス」。日経MJの柔軟剤ランキングでも第1位に輝いた。汗や体温に反応し香りが長続きする機能と、5種類の個性的な香りが人気の秘密。「スウィートスパイス」という商品は、スズランやライムにシナモンなどのスパイスをブレンドした大人っぽい香り。「フラワーハーモニー」は、様々なフルーツにシトラスなどで瑞々しさを加えた癒しの香り。

実は花王には、香りにうるさい女性たちを攻略する専門部隊がある。それが花王すみだ事業場にある香料開発研究所。いわば香りを極める集団だ。そこで行なっていたのは、世の中のあらゆる香りを採取する活動。研究員の佐藤麻希子は「北海道にシロツメクサの香りを採りに行ったり、屋久島に森の香りを採りに行ったりしたこともあります」と言う。

花王社内では誰もが知る香り分析のマエストロ、澤村茂。1000種類を越える世界中の香料を組み合わせ、狙った香りをピタリと作り上げてしまう。ところが澤村の研究ノートを見せてもらうと、「野菜のにおい」のように、商品開発とは無関係そうな内容が記されている。その根底にあるのは、商品開発というより、香りそのものへの探究心だ。

「我々の理想は香りで世界の人を幸せにすること。それが我々の志です」(澤村)

このように花王には、商品作りとは別に、様々な研究分野を追求する集団がある。

例えば泡を極める集団。泡と向き合って25年、別名・泡博士の坂井隆也が、ある画期的な泡の設計図を見せてくれた。坂井とともにその画期的な泡を開発した主任研究員の西澤がフラインパンに新開発の洗剤を入れ、水を注いでいく。すると泡立った泡が次の瞬間、一瞬で消えていった。西澤は「洗浄にも泡切れにも、両方に効くような基剤を見つけ出すことができ、お客様の暮らしを楽にすることができたと考えています」と言う。

この一瞬で消える泡の発見が、とんでもないヒットを生み出した。それが日本中の家庭で愛用されているおなじみの食器洗剤「キュキュット」だ。泡立ちがいいのに泡切れも抜群。驚くほどすすぎが簡単になった。3年前、「キュキュット」は、この新しい泡の改良版を発売、世界的企業P&Gから食器用洗剤シェア首位の座を奪った。

「商品を出すだけではなく、商品を支えるしっかりとした技術を、僕らみたいな研究員が何十年もやり続けている。性能の良い製品を作るにはかなり役立っているのではないか、いや、役立ちたいなと思っています」(坂井)

花王は泡や香りなど様々な物の本質を徹底的に研究、その成果を使って、消費者がほしがる商品を作り上げている。これが花王の「本質研究」だ。

シャンプー、おむつ…花王のヒットを支える「本質研究」の真髄

© テレビ東京

今、中高年を中心に売れている花王のシャンプー「セグレタ」。シャンプーとして使うだけで、張りがなくなった髪のボリュームがふっくらと仕上がるという。中高年の悩みに応えたシャンプーだ。

その開発を支えたのは、髪研究のエキスパートとして知られる長瀬忍。長瀬は長年の研究で、髪のしなやかさは表面だけでなく、その内部構造が関係していることを世界で初めて突き止めた。しなやかで美しく見える髪は、外側が軟らかく内部が硬いという独自のバランスで成り立っているという。

花王はそんな「本質研究」の成果をヒットにつなげてきた。トップの澤田も1981年の入社以来、研究畑を歩んできた。澤田自身、逆境を「本質研究」に救われた経験を持つ。

それは47歳の時。オムツの「メリーズ」を扱うサニタリー研究所の所長時代のことだった。当時の「メリーズ」は、競合各社のおむつに太刀打ちできず、事業の打ち切りさえ囁かれる苦境にあった。澤田は、巻き返しを図るため、おむつを使う家庭への訪問調査を徹底的に行ない、「やはり肌への優しさがお母さんの一番欲するものだった。じゃあ世界一肌に優しいおむつを作ろう」(澤田)という結論にたどり着く。

澤田は、紙おむつを作る原材料を扱う研究者たちに指示を出した。上席主任研究員・奥田泰之によれば、それは「眠っている技術にはいいものがたくさんあるはずだろう。まずはそれを徹底的に土俵に上げてみよう」というものだった。

そして澤田は、そんな研究者たちの成果を元に画期的な肌触りの商品開発に成功する。それがおむつの表面に細かい凹凸をつけた新しい「メリーズ」。「肌との接触面積を減らす。くっついていない隙間を通って、蒸れた空気を追い出す機能を持っています」(奥田)という肌触り抜群の新型「メリーズ」は、母親たちの心をつかみ大ヒット。おむつ市場のトップシェアを奪い取った。

「それを具現化できる技術があったということ。そのためにはやはり本質的な研究、本質的な技術を準備していたからできたんです」(澤田)

花王で月に一度は開かれるイベント。それは様々な「本質研究」の成果を、研究者たちが商品開発の現場へ伝える研究発表会だ。参加していた入浴剤「バブ」のマーケティング担当者は、「今後の商品開発に今回紹介された知見を少しでも取り入れて、より良い商品をお客様に届けたいと思っています」と言う。

精鋭の研究者と顧客目線の商品のプロががっぷり組んだ共同戦線が、花王の商品の強さを支えている。

世界の難問を解決~東南アジアの女性を救う商品

世界第4位の人口を誇るインドネシアの首都ジャカルタ。この国の女性たちには、大きな悩みがあった。それが日々の洗濯。インドネシアではいまだに家庭の8割が粉洗剤で手洗い。だがインドネシアの水はいわゆる硬水で、汚れを落ちにくくするカルシウムを多く含んでいる。洗濯機を持っていても、ひどい汚れは手洗いで落とすのが一般的だという。それでも落ちにくいため、クリーム状の洗剤も使ってひたすらごしごし。そのため、インドネシアの女性たちの手は荒れ放題だ。

そんなインドネシアの女性たちに救世主が現れた。飛ぶように売れていくのは「ジャズワン」なる洗濯洗剤。花王の商品だ。

ジャズワンを作ったのが、和歌山にあるハウスホールド研究所の洗濯水のスペシャリストたち。花王はそれまで蓄積した洗浄技術を駆使し、2014年、硬水でも汚れを落とせる「アタックジャズワン」を開発した。

「インドネシアのお客様のために開発した商品になります」(杉山陽一室長)

インドネシアの女性たちの長年の悩みを解決し、「ジャズワン」は急速に普及し始めている。花王が生み出した技術が、世界で感動的な便利さを広げていた。

~村上龍の編集後記~

前回の収録で、わたしは「花王」を評して「面白くないくらい立派」だと言った。

今回、「さらに進化している」と驚き、さらなる敬意を抱いた。

「花王は技術が軸だ」メーカーなのだから当然と言えば当然だが、技術を生む基盤である研究、それも、必ずしも応用を前提としない基礎研究の蓄積は、おそらく他に類を見ない。

しかも各研究部門、開発、営業、販売など、すべてが見事に連携している。

「花王」は、「全力士の中でもっとも稽古量の多い横綱」のような、そんな企業だ。

「面白さを通り越して立派」なのだと見識を改めた。

<出演者略歴> 澤田道隆(さわだ・みちたか)1955年、大阪府生まれ。1981年、大阪大学卒業後、花王入社。2003年、サニタリー研究所長就任。2012年、社長就任。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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究極のアジ直送革命~女性率いる萩の漁師集団

吉田松陰で有名な山口県萩市は、数多くの志士を生んだ明治維新胎動の地。そして日本海に面して海の幸に恵まれた漁業の町でもある。

そんな町でいま、水産維新を巻き起こしている漁師たちがいる。それが萩大島船団丸だ。漁を指揮するのは船団長の長岡秀洋。漁師歴39年のベテランだ。船団丸が行うのは巻き網漁。網船が網を張り、そこに灯りで魚を引き寄せ、一気に囲い込む。船団によるチームワークが鍵となる。

午後10時、運搬船が網船に近づく。大漁だ。萩名産の「瀬つきアジ」。アジは回遊魚なのに、岩場に住み着いて餌をたくさん食べるから脂がのって太っている。この地方だけの希少なアジだ。およそ2時間で1回目の漁が終了。すると長岡は次なる作業に着手した。魚は血から腐っていくという。だからその場で血抜きをして鮮度を保つのだ。

午前3時、船団丸の船が戻ってきた。それを待つ女性が一人。萩大島船団丸代表、坪内知佳(31歳)だ。萩にも漁業にも縁がなかった坪内だが、2010年、60人の漁師を束ねて萩大島船団丸を結成した。紅一点で漁業の改革に乗り出して7年。坪内の「水産維新」は様々なメディアで注目を浴びている。

「業界が古いからこそ、硬いからこそ、難しいからこそ、たくましい集団が、脂のりのいい筋肉質な集団がそこに出来上がるんじゃないかと私は夢を見ているんです」(坪内)

© テレビ東京

坪内が代表についた当時、萩の漁獲量は10年前から激減。さらに魚の値段が低迷し、漁師の手取りは減る一方。船を下りる者があとを絶たなかった。魚の値段は市場での競りによって決まる。漁にどれだけ元手がかかっても、生活が苦しくても、漁師に価格決定権はない。

どうしたら漁師たちを救えるか。坪内が行き着いたのは漁業の6次産業化だった。6次産業化とは、1次産業の漁師が2次産業の加工や3次産業の販売まで手がけることだ。

「限られたものだから、これを利用してどう豊かに生きていくのかと考えたら、逆に、高付加価値化しかないんじゃないかと思うんです」(坪内)

坪内が考え出した高付加価値化。それが「鮮魚ボックス」だ。船上でえり分けて締めておいた魚を、きれいに箱詰めし、市場を通さず個人や飲食店に直接販売するのだ。中抜きで浮いた費用を漁師と消費者に還元できる。

詰め終わったらカメラでパチリ。それをで送信した。

その頃、東京・丸の内にオープンしたての和食屋「にっぽんのひとさら」で、LINEを心待ちにしている人がいた。オーナーの是友麻希さんだ。「写真で見せていただくと、これいいなとわかるので嬉しいし、期待感も高まります」と言う。是友さんは魚料理の研究家。念願だった自分の店を持ち、その目玉に船団丸の魚を据えた。

そして「鮮魚ボックス」が到着。お目当ての瀬つきアジはサバと間違えるくらい大きい。ほかにはイサキに剣先イカ、ヒラマサなど。萩ならではの獲れたてが、送料込みで1万円。市場を通すより安いという。

鮮度バツグンの刺身の盛り合わせは3人前で2670円(税抜き)だ。

「今日は良くないからやめておいたほうがいいよともおっしゃってくれる。漁師と直接コンタクトを取れるのは、お金以上の価値があると思います」(是友さん)

坪内の「水産維新」で萩大島船団丸の売り上げは倍増。不振にあえいでいた漁師たちが活気を取り戻した。「彼女がいろんなアイデアを持ってくる。なくてはならない人ですよ」と長岡が言えば、坪内は「水産の伸び代はすごい。ワクワクします」と応じた。

漁師を率いる若き女性~波乱万丈の水産維新

坪内のつかの間の休息は長男・柊人君とのひとときだ。坪内は5年前に離婚。女手一つで息子を育てるシングルマザーだ。

「私にとってはただの嫁いできた町。それは過去の話で、今はわが子のふるさとなんです。漁船があって海があって魚がある生活が当たり前。それを奪いたくないと思う。うちの船員にみんな家族がいる以上、そこを担っていく責任があると思っています」(坪内)

2007年、21歳で結婚し萩に引っ越してきた坪内。そこでコンサルティング業を始めたことが縁で、漁師たちと関わりを持つことになった。当時、漁業はどん底状態。坪内は船団長の長岡のある姿が忘れられないでいる。

「俺たちは海がないと、船がないと、魚がないと生きていけないって泣いていた姿が、今でも忘れられないんです」(坪内)

関わりを持ったものの、漁業のことなど何も知らないよそ者で部外者。初めはことごとく対立した。坪内は漁師に、顧客目線と経営感覚を身につけてもらおうと動き始めた。ところがある日、漁師が獲った魚を乱暴にカゴに放り投げているのを見つけた。「魚は商品よ。一匹一匹、大切に扱って」と言った坪内に、漁師から「魚のことは俺たちの方がよく知っている。いちいち口出しするな。お前なんか萩から出て行け!」と、罵声が飛んだ。

「最初に大喧嘩になった時に、もうあっち行けと。俺がやるからもういらんと言った。その時に彼女が、20件の飛び込み営業でとった顧客リストを自分に渡したわけです」(長岡) そこには取引先の店が扱う魚の種類や料理長の好みなどが、びっしりと書き込まれていた。坪内は漁に出られない日には全国を飛び回り、たった一人で顧客を開拓していたのだ。 「それを見て、正直、頭が上がらなかったですね。ここまでやっているのかと……」(長岡)

こうして漁師たちの心をつかんだ坪内は、漁師の直販を一気にすすめようとしたが、そこに更なる壁が立ちはだかった。それは既存の流通という壁だった。 坪内のビジネスは漁協や仲買を無視する行為。当然、猛反発をくらった。

「(市場内に)入れなかった。いるだけで、邪魔、邪魔みたいな。だから(水揚げ、選別を)場外でやっていました。野ざらしの屋根のないところで」(坪内)

漁協や仲買の理解を得なければ、漁師による直販は実現できない。そこで坪内が考えたのが共存共栄の仕組みだった。直販で得た売り上げの一部を、手数料として漁協や仲買に支払うことに。船団丸が利益をあげれば、地元も潤う仕組みを作ったのだ。

かつて坪内と対立していた仲買人たちはいま、「正直言えば複雑。だけどいいことだと思う。刺激になる」「最初はうまくいかなかったと思うが、今はこうして立派にやっている。僕は応援している」と語る。

これが、よそ者・部外者の坪内が起こした「水産維新」だ。

うまい豚肉に客殺到~湘南の絶品バーベキュー

© テレビ東京

神奈川県藤沢市。とある温室に行列ができていた。およそ100人が詰めかけたバーベキューイベントだ。豚のバラにロース肉、モモ肉と、さながら豚肉祭り。ひたすら豚肉を食べるという特別なバーベキューなのだ。出されている豚肉はすべて「みやじ豚」だ。

みやじ豚社長の宮治勇輔(39歳)は、一農家の名前でブランド豚を作るという、きわめて稀なことをやってのけた。小さな家族経営ながら養豚業に革命を起こした宮治の手腕は、農業だけでなく、ビジネス界からも注目されている。

「うちはあえて『みやじ豚』という個人名を冠する銘柄にする。ことごとく弱者の戦略で、大手がやらないことをやっていくことで、活路を見出す」

みやじ豚の良さは一流デパートも認めている。東京・銀座の松屋では、3年前から一押しのブランド豚として販売している。みやじ豚は決して安くはない。他の豚と比較してみると、千葉県産は100グラム292円、栃木産は378円だったが、みやじ豚は594円。それでもファンがついており、農林水産大臣賞も受賞した価値ある豚肉なのだ。

おいしさの秘密は豚舎に隠されているという。みやじ豚は三種類の品種をかけあわせた、いわゆる三元豚。おいしさの最大の理由はその飼い方にある。通常はぎゅうぎゅう詰めで飼育するため、豚はストレスを感じて、それが肉質にも影響する。一方、宮治家は「腹飼い」という方法をとっている。豚は一度に10頭前後の子豚を産む。それを成長するまで一緒に一つの冊で育てるため、ストレスを感じず、結果、高品質になる。

こうして育てたみやじ豚は、いまやミシュランで三つ星を獲得した店でも使われるようになった。

「良さは脂の臭みが全然ないところですね。お客さんに脂を食べてもらう感じ。絶対他にはないと思う」と言うのは、日本料理「幸庵」の飯嶋有紀則料理長。料理長はみやじ豚の味はもちろん、育て方にも惚れ込んだという。

渾身の一品は「みやじ豚の角煮」(昼コース6260円~)。味付けは塩と山椒だけ。臭みのない、みやじ豚でしかできない調理法だという。 家業をブランドに作り上げた宮治には大いなる野望があった。

「一次産業全体が、『かっこよくて感動があって稼げる3K産業』になっていくことが僕らのゴールなので、そこに向けて活動していきたい」

家のブタをプロデュース~感動がある稼げる農業

養豚農家の長男として生まれた宮治だが、家業を継ぐなど考えたこともなかった。慶應大学時代は、ベンチャー企業を立ち上げて六本木ヒルズに住み、フェラーリに乗る。そんなことを本気で夢見ていた。

大学卒業後、いったんはパソナグループに就職。しかし自分にしかできないことは何かと問い続ける日々だった。そんな時に思い出したのは、父が育てた豚で友人とバーベキューをした時のこと。「お前の家の豚肉、うまいな。どこで買えるんだ?」と聞かれて、答えられなかった。どこで売られるかを、農家が知る術がなかったのだ。

「農業は地域で産地を形成して地域で同じものを作って、生産者の名前を消して地域の名前で流通していく。これってすごい問題だなと」(宮治)

宮治は27歳の時、サラリーマンを辞めた。父親のおいしい豚をブランド化し自力で売ろうと決意したのだ。

しかしそこに立ちはだかったのは、ほかならぬ父・昌義だった。「農業に一種の革命を起こす壮大なことをぶち上げた。そんなのはとても夢物語と言うか、お前の言ってることは地に足がついていないと言って、一蹴して相手にしなかった」と、父は当時を振り返る。

何度も父を説得し、ようやく首を縦に振ってもらったが、越えなければならないさらなる壁があった。

宮治の家では生後6ヶ月、120キロに育てた豚を出荷している。通常なら農家の仕事はここまで。出荷した豚は食肉処理場で解体され、問屋が買い取る。問屋はこれをバラやロースなどに切り分けるが、通常、小売店などに卸す段階で他の農家の豚とまざって、生産者が特定できなくなってしまうのだ。

だが宮治は、常識を覆すやり方を考え付いた。それは飲食店などから注文があった分の肉を、問屋から買い戻すという方法だった。いくつもの問屋に断られたが、ようやく応じてくれるところを見つけた。小田原市の総合食肉卸「オダコー」だ。

「聞いたことがなかった、農家が販売に携わるというのは。すごいなと思いました」(高橋亮太社長)

買い戻した肉は、その場で顧客の注文通りにカットしてもらう。さらに梱包から発送まで問屋に委託。こうして、たった一軒の農家でもブランド豚として流通させるルートを作り上げたのだ。さらにネット通販のサイトも開設。だれでも直接買えるようにした。

今や直販の「みやじ豚」は、宮治家が出荷する豚の6割にのぼり、売り上げは7倍に。何よりのメリットはお客の顔が見えること。反対だった父親も「みなさん満面の笑みで満足しているのを見ると感慨無量で。いつも日々感謝している」と語る。

さらなる開拓へ~海外進出&若手農家の新集団結成

萩から東京に、萩大島船団丸の坪内がやってきた。向かったのはミシュランで一つ星を獲得したフレンチの名店、渋谷区の「ア・ニュ」。ここは坪内が開拓したお得意さんのひとつ。坪内はこうして取引先を訪ねてはニーズを汲み取っている。

この日はエクゼクティブシェフの下野昌平さんから新たな商談を持ちかけられた。香港に出す予定の新たな店にも、船団丸の魚を届けてほしいというのだ。

「海外でも船団丸のようなシステムはないでしょうし、鮮度や味は確かなんで、わかってもらえると思います」(下野さん)

「国内のみではなく、海外も含めて世界の市場に少しずつ出していけたらなと思っています」(坪内)

一方、みやじ豚の宮治も新たな活動を始めていた。自分と同じ、若い農家の跡継ぎを支援するNPO法人「農家のこせがれネットワーク」を立ち上げたのだ。

NPO設立の狙いを、宮治はスタジオで次のように語っている。

「農家のこせがれが、家業の魅力と可能性に気づいて、実家に帰って農業を始めて、親父の持っている地盤、看板、農業技術と、自分が持ち帰ったビジネスのスキル、ノウハウ、ネットワークを融合させて新しいビジネスモデルを作っていけば、まだまだ日本の農業は面白くなるんじゃないかと思います」

~村上龍の編集後記~

坪内さん、宮治さん、共通しているのは、「一次産業の旗手」と呼ばれるまで、かなりの紆余曲折を経ているということだ。 「人生設計」と言われるが、人生って、設計できるのだろうか。一人では生きていけないし、大きな組織に属していても、安心できない。 二人は、遠回りをしながら天職に気づき、「今すぐにできることは何か」を考え、実践した。自分のビジネスだけではなく、農業・水産業全体の変革を、目指している。 「人生に意味のないことはない」坪内さんの言葉だ。一次産業という枠を超えて、勇気と希望を、示している。

<出演者略歴> 坪内知佳(つぼうち・ちか)1986年、福井県生まれ。2007年、名古屋外国語大学中退、萩に移住。2011年、萩大島船団丸代表就任。 宮治勇輔(みやじ・ゆうすけ)1978年、神奈川県生まれ。2001年、慶應義塾大学総合政策学部卒業、パソナ入社。2006年、株式会社みやじ豚設立、社長就任。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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絶景の町が激変~客殺到の美味しい新名所

北海道・旭川空港から車でおよそ20分。富良野の手前にある美瑛町(びえいちょう)。

美瑛といえば真っ先に思い浮かぶのが北の大地を象徴する光景だ。作物によって色を変える丘陵地帯の畑と、その中を通る通称「パッチワークの路」。圧倒的なスケールの花畑が大地に模様を描く「四季彩の丘」。トラクターで見物もできる。町のはずれには「青い池」という神秘的なスポットもある。温泉成分を含んだ湧き水と鉱物を含んだ川の水がここで出会い、独特の色を生み出すと言う。

こうした美しい景勝地があるのに、かつて美瑛は富良野観光のついでの立ち寄りスポットに過ぎなかった。

しかし今は違う。客の流れを変えたのは10年前にできた「美瑛選果」。施設の一角にはとんでもない長さの行列が、建物の中から伸びていた。行列客のお目当ては凍らせたイチゴと氷、シロップをミキサーにかけただけのイチゴジュース(360円)。シンプルな味が大人気となっている。

行列の隣には美瑛の誇る野菜を集めた直売所「選果市場」もあり、こちらも大賑わいだ。並ぶのは「JAびえい」が厳選した折り紙付きの野菜ばかり。値段はやや高めだが、熱烈なリピーターがついていて飛ぶように売れている。

そして建物の奥には、一日中、予約でいっぱいの人気店が控える。レストラン「アスペルジュ」。気さくな雰囲気だが、ミシュランの一つ星を持つフレンチの名店だ。

売りは美瑛の野菜をふんだんに使った地元ならではのメニュー。名物は茹でたてのアスパラだ。オリーブオイルを振りかけ、そのままお客の元へ。メインは美瑛産の豚料理。地元のブランド豚で、柔らかな身と口どけのいい脂身が特徴。たっぷり厚切りで、肉の旨みを味わえる。ランチコースは3960円。

いずれも美瑛特産の素材の良さがダイレクトに伝わってくる料理ばかり。その美味しさが、これまで通り過ぎていた観光客を町に引き寄せているのだ。

「美瑛選果」をきっかけに、通過する町から目的地に変わった美瑛に、さらに人を呼び寄せる施設が4年前に誕生した。オーベルジュ「ビブレ」。オーベルジュとは、宿泊施設のついたレストランのこと。その客室からは窓いっぱいに大雪山。絶景を独り占めだ。

客にわざわざ足を運ばせる料理は、まずは丸ごとの人参。これを客に見せて、さらにハーブ水をかける。雪の下で一冬寝かせて糖度をあげた自慢の人参のローストだ。メインはエゾシカ。ヒノキの葉と一緒に炭火で炙って香りを付ける。

ただ美味しいだけではない。ここは驚きや感動が料理で体験できる店なのだ。その「特別な体験」は朝食でも用意されている。それが自家製のクロワッサン。まず客が席に着いたところで焼き上げる。焼き上がったらスタッフはダッシュ。釜から出して10数秒後には客の元へ届ける。

食の力で客を引き寄せ、大きく様変わりした美瑛。年間の観光客は165万人と、10年前に比べ5割も増えた。

「美しい町」が「美味しい町」へ~農家も変えた凄腕料理人

中道博・ラパンフーヅ社長 © テレビ東京

実は「美瑛選果」もオーベルジュも仕掛け人は同一人物。ラパンフーヅ社長、中道博(65歳)だ。その中道は「火を入れたり、味をつけたり、ソースを作るのも料理だけど、もっと素材のほうが大事なんじゃないかと思っている」と語る。

ラパンフーヅの本拠地は札幌。フレンチ・レストラン「モリエール」がある。ここはミシュランで三つ星を取った日本に3軒しかないフレンチ・レストランのひとつ。中道はこの名店を愛弟子の今智行シェフと共に守ってきた。

この店でも「美味しい」の上を行く驚きや感動を仕掛けている。

例えば木の枝を何に使うのかと思ったら、そこに料理を盛り付けた。ふきのとうの揚げ物。その中にはたっぷりのホタテのムースが詰めてあった。しかも客には、より香りが感じられるよう手掴みを提案する。

中道のオリジナルで、通称「ロケット」は、北海道名物の駅弁にもなっている料理をフレンチ風にアレンジしたもの。イカの身を切り分けると中からリゾットが現れる。イカ飯だ。

こんな三つ星フレンチのフルコースが8800円から味わえる。ここにも客は遠くからわざわざ足を運んで来る。中道はこの三つ星レストランを含め、7つのレストランを営む、合計六つ星と言う凄腕料理人なのだ。

料理の力で客を呼び寄せ、町まで変えた中道。この日、「美瑛選果」で待ち合わせていたのは、「JAびえい」の北野和男常務理事。JAの施設に中道を引っ張り込んだ張本人だ。中道のやり方には大きな影響を受けたと言う。

「アスパラ料理でランチが7000円。それでも東京から食べにくる。やっぱりこれではないか、と」(北野さん)

美瑛の野菜は少し高くても売れる。そう気付いた「JAびえい」は、今まで市場に出荷していただけだった野菜を直売所やネットで売り出した。そしてブランド化に成功したのだ。 地元野菜のブランド化に成功した「JAびえい」はオリジナル商品の開発も始めた。特産のトウモロコシを使った「焼きとうきび」。フリーズドライになっている。これが今、「美瑛選果」では売れ筋ナンバーワン。

中道と出会い、挑戦する集団に変わった「JAびえい」。第2、第3のヒット商品も生まれている。かつて先行きに不安を抱えていた「JAびえい」の売り上げは1.5倍に。町は「美しい美瑛」から「美味しい美瑛」に生まれ変わったのだ。

「今日来てくれる方に喜んでもらって、また来てもらう。その積み重ねなので、とにかく喜んでもらおうとやってきたということですね」(中道)

三ツ星シェフが挑んだ人気宿の秘密

札幌「モリエール」の朝10時。中道が見るからに落ち着かない。この日は、ミシュランの新たな格付けの発表当日だった。ところが10時を過ぎても電話がかかってこない。いつもはどっしり構えている中道が焦っていた。

その時、電話が鳴った。今回も三つ星を守ったのだ。

ラパンフーヅは三ツ星の「モリエール」の他にも3軒の店で一つ星を獲得している。今やフレンチでは日本屈指の料理人集団を率いる中道は、いかにして町おこしに関わるようになったのか。

中道は1951年、登別の生まれ。19歳から札幌のホテルに入り、料理人修行を始めた。23歳の時には外の世界が見てみたいと、言葉もできないままフランスへ。寝る間を惜しんで修行を積み、33歳で自分の店、「モリエール」を開いた。

その後、ある村との出会いが、中道の料理人人生の転機となる。その村とは蝦夷富士・羊蹄山を臨む真狩村(まっかりむら)だ。

ここに中道は20年前、「マッカリーナ」というオーベルジュを作った。現在は2ヶ月先まで予約が埋まっている人気の泊まれるレストラン。料金は朝食付きで1泊2万4000円~。客は料金に含まれていない夕食を楽しみに来る。

朝、クマザサをかき分けて歩いていたのはシェフの菅谷伸一だ。天然の食材を採りに来た。2日に1回は山に入り、山菜を調達している。この日、狙っていたのは山菜の王様、タラの芽だ。

厨房で料理人の顔になった菅谷。朝採ってきたタラの芽はディナーの食材に使われていた。天ぷらではなくフリッターに。メインディッシュは北海道のブランド牛を使ったロースステーキ。そこに添えられる野菜としてタラの芽が使われた。これだけのために山に分け入っているのだ。

過疎地に80万人の観光客~「美味しい料理が村を変える」

© テレビ東京

連日盛況の「マッカリーナ」だが、立ち上げ当初、今の大成功を予想した者はいなかった。

かつての真狩村には観光客の姿はなく、村は過疎の一途をたどっていた。有名なのは歌手、細川たかしの出身地ということだけの村だった。

この状況をなんとか変えたいと思ったのが村長だった八田昭七さん。名の知れた中道が真狩の水や食材に惚れ込み、ここに店を作りたがっていると聞き、村と共同出資でやらないかと持ちかけた。ところが、「こんな田舎でフランス料理ができるのかと、議会の承認を得るのに大変苦労しました」(八田さん)

村議会は紛糾し、ほぼ半数が反対。「村長、責任取れんのか?」「赤字になったら、どうすんだ!」と怒号が上がった。20年前、揉めに揉めた現場を目撃したのが、現村長の佐々木和見さんだ。

「ちょっと言葉が悪くなる場面もありました。『うまくいかなかったら村長が責任を取れ』とか」

その状況を聞いた中道は、腹をくくる。母親の家の建築費用に貯めていた3000万円を持ち出し、「これで責任は取るから」と、真狩村の議会を認めさせたのだ。

「みんな思っていましたよ、お客が本当に来るのか、と。覚悟をして、3年間はお客が1人も来ないという事業計画でやっていこうと思ったんです」(中道)

一筋の光も見えない中での船出だったが、予想外の出来事が起こる。当時、日本でオーベルジュはまだ珍しい時代。オープンするとメディアが食いつき、これが大きな宣伝となり、客が大挙して押し寄せてきたのだ。

「マッカリーナ」は大成功。すると真狩村も注目を集め、人口2000人余りの村に年間80万人もの観光客がやってくるようになったのだ。

人が集まると、生産者にも変化が。地元の若手農家、三野農園の三野伸治さんは、真狩の新しいブランド野菜として、西洋ねぎを作るようになった。「マッカリーナ」も頼りにしている食材だ。三野さんはその変化を「若い人が真狩村に帰ってくるんです。そういうイメージ作りに一役買ったと思う。帰ってきやすくなったというか」と、語る。

実際のデータ上でも、49歳以下の農業経営者が占める割合が全国平均の5倍になった。若い生産者は新しい農業も始めた。三野さんはドローンを農業に導入した。北海道の広大な農地は見回るだけでも大変だが、これなら家にいながら3キロ先までチェックできる。こうしてきついばかりだった農業が変わっていく。

美味しい料理が村を変える。これが中道の原点だ。

絶品を生む秘密を大公開~業界を支える人材育成術

寒さの厳しい美瑛には、冬はほとんど観光客が来ない。このオフシーズンの間、オーベルジュ「ビブレ」は人材育成の場に変わる。ここで中道は料理人を育てる「美瑛塾」を始めた。「自分の店を持ちたい」という夢を持つ者に、月8万円でノウハウを教えている。

講師役はラパンフーヅが誇る、星つきレストランのシェフたち。その授業スタイルはひたすら実践的で、必要であれば、高価な食材も普通に使っていく。 時には早朝の特別授業も。暗いうちから「ビブレ」で出すパン作りに、塾生が打ち込んでいた。

40歳の柴田夕也は札幌のコーヒーチェーンの元店長。「ビブレ」のような人を感動させるパンを出す。そんな喫茶店を開こうと思い入塾した。

「喫茶店は食べ物に力を入れているところが多くない。それを専門にしているところに引けをとらないものを出すお店を出したくて」(柴田)

この塾の狙いを、塾長の齋藤壽は「今の料理人の教育では、現場に入ったときにすぐには役に立たない。実践として料理とはどういうものかを理解してもらうのが一番大事なことだと思っています」と語る。

即戦力の人材を育てる。そのためにオーベルジュに客がやってくるシーズンになると、塾生はスタッフとして働き、時給をもらいながら即戦力となれるよう修行を積む。授業料はこのバイト代で相殺される仕組みだ。

さらにこんな授業もある。トラクターを運転しているのは美瑛塾の生徒。この日は野菜を仕入れている農家で作業を手伝う研修だ。トマトをさらに大きく育てるための紐を、上に伸ばしてつけていく。これも料理人修行の一つだ。

こうして作業を手伝う事で生産者の苦労が分かれば、その食材の価値も、身をもって理解できる。

生徒の一人は「ただ本とか人に聞いて知っているというのとは違って、自信を持っていいものだと、お客さんに喜んで食べてもらいたいという気持ちにつながってくると思う」と言う。

食材の価値を知る即戦力の料理人。中道はこうした人材を世に広めようとしている。

~村上龍の編集後記~

「食材を活かす」誰もが常識だと思っている。だが、実はこれほどむずかしいことはない。食材は、料理人の知識や技術を超える偉大な存在なのだ。

かつて北海道は「食材の宝庫だが美味しい料理は少ない」と揶揄されることもあった。そこに中道博というシェフが現れた。「食材と水」をベースにして、オーベルジュを作った。

料理は、自律的だ。どれほど高名なシェフでも、エゴが食材への敬意を覆ってしまったら、堕落する。中道さんは常に、食材と客のことを考えている。

その料理は、あらゆるエゴが消えていて、美味しさだけがある。

<出演者略歴> 中道博(なかみち・ひろし)1951年、北海道登別市生まれ。1970年、札幌グランドホテル入社。1974年、フランスに料理修業へ。1984年、ラパンフーヅ設立、「モリエール」開業。1997年、「マッカリーナ」開業。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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地方も寄付者も潤う~話題のふるさと納税とは?

須永珠代・トラストバンク社長 © テレビ東京

東京・江東区の四宮さん一家に宅急便が届いた。届いたのは北海道産のイクラのしょうゆ漬け。高級料亭でも使われているという極上「イクラ6パックのセット」(5160円)。さらに北海道産の牛乳で作った「アイスクリームと生チョコのセット」(5592円)も。合わせて1万円相当の商品だが、四宮さんは実質2000円で手に入れたと言う。

これらは北海道釧路市にふるさと納税をしたことに対しての返礼品だった。四宮さんはふるさとの釧路市に4万円を寄付し、この返礼品を受け取った。

「ふるさと納税」という名前だが、自分の出身地に限らず、どこにでも寄付は可能だ。その返礼品には日本中の名産品が並ぶ。例えば静岡県焼津市。焼津といえば全国でも屈指のマグロ基地。ミナミマグロの水揚げは日本一だ。これがふるさと納税の返礼品として大人気。1万円の寄付で天然ミナミマグロの赤身と中トロ、それぞれ180グラムのセットが届く。他にも寄付金額に応じて大トロの入った定期便など、マグロだけで170セット以上がスタンバイ。50万円寄付すればマグロ丸々1本、なんてものまであった。

ふるさと納税からスポットの当たった名産品もある。岡山県吉備中央町は自然豊かで水がきれいな美味しい米の産地だ。この町の返礼品はコシヒカリ。寄付金1万円につき20キロ、3万円なら60キロが届く。

ふるさと納税でここの米が人気になり作付けを増やした農家も出ている。農業組合法人大明神組合の小柳惠一さんは「あれがなかったら米作りをやめる農家はかなりあったと思います」と言う。ふるさと納税の返礼品需要が生産者を元気づけているのだ。

ふるさと納税の仕組は、まず、気に入った自治体を選んで寄付すると、その町から返礼品が送られてくる。さらに寄付した金額分が、翌年の住民税などで控除される。例えば5万円寄付した場合、手数料にあたる2000円を引いた4万8000円が控除(控除額は収入によって上限がある)。つまり、翌年払う住民税などが4万8000円安くなるというわけだ。

何カ所に何回寄付しても、その年に負担するのは2000円だけ。つまり、実質2000円で何個もの返礼品を受け取ることができる。2008年に始まったふるさと納税はこの2年で寄付が急増。2016年度は2700億円に達すると予想されている。

寄付金の7割が経由するお化けサイト

このブームに火をつけた仕掛人が、東京都目黒区のビルにあるトラストバンク。「信頼を貯める」という意図で名付けられ、創業5年で従業員は70人に。ふるさと納税の寄付額と比例するようにして急成長した。

メインの事業は、ふるさと納税の総合サイト「ふるさとチョイス」の運営。全国1788の自治体の情報を掲載。この制度で動く寄付金、総額2700億円のうち、なんと7割がこの「ふるさとチョイス」経由。ふるさと納税では圧倒的なナンバーワンサイトだ。

このサイトを作ったトラストバンクの創業社長、須永珠代は「ふるさと納税をすることで、地域で作られたオリジナルの品や首都圏では手に入らない特産品が送られてきます。それが醍醐味の一つかと思います」と言う。

「ふるさとチョイス」には全国の自治体が用意した12万点以上の返礼品が載っている。 返礼品はカテゴリー別に分かれていて、利用者は欲しい物から寄付先を決めることもできる。また返礼品のランキングもあり、人気の商品に一発でたどり着ける。例えばお肉部門の1位は佐賀県みやき町の九州産豚肉。1万円で4キロが届く。魚介部門のトップは佐賀県上峰町で、1万円でふっくら・うなぎの蒲焼が5尾。人気の高い季節のフルーツの1位は、信州産マスカット。1万円の寄付で2キロが送られてくる。

インターネットはちょっと苦手という人のための施設もある。東京・有楽町にあるトラストバンク直営の「ふるさとチョイスCafe」。ここではふるさと納税の仕組みや申し込み方などを、スタッフが顔をつき合わせて教えてくれる。クレジットカードでその場で決済することもできる。

こうした取り組みの効果もあり、「ふるさとチョイス」の会員数は増え続け、現在は157万人に達している。

地域の名産品が続々誕生~寄付額、日本一になった平戸市

「ふるさとチョイス」と4年前から手を組み、大成功したのが長崎県平戸市。3年前には14億円を集め、ふるさと納税の寄付額、日本一になった。その理由は、魅力的な返礼品を揃えたから。鮮度抜群の魚が何種類も味わえる「地魚の詰め合わせ」に、生産量が少ない幻の平戸和牛。豊かな自然の中で育てられた牛の肉は柔らかさが自慢だ。

そんな平戸に須永がやって来た。まず向かった先は地元の魚が集まる平戸瀬戸市場。手を組んだ自治体の様子を、自分の目で確かめに来たのだ。

ここには変わった返礼品もある。「ウチワエビ」は以前、地元でもあまり食べられていなかったが、今や平戸の看板返礼品になった。須永が「食べやすい形にして送ろう」とアドバイスし「ウチワエビのしゃぶしゃぶセット」が誕生、これが大人気となった。刺身とは違ったシコシコした食感が楽しめるという。

他にも、山形県天童市では須永が「オカヒジキ」に目をつけ、野菜セットに採用。同じ山形の三川町からは「モクズガニ」。こんな地方の隠れたお宝を発掘してきたのだ。

平戸では雇用も拡大したという。市場の流通部・松山貴充さんによれば、「5年前は従業員20人ぐらいだったのが、今では50人近くいます」と言う。ふるさと納税が成功すれば、地域の経済に大きなプラスとなる。

盟友とも言える間柄になった平戸氏の黒田成彦市長は須永のことを「原動力プラス触媒。須永さんと出会ってみんなが変わっていく。いい出会いに感謝しています」と評する。

返礼品で人気を得た生産者は、より工夫するようになる。平戸の果樹園「善果園」もその一つ。ご主人の近藤重雄さんは、柑橘の新しい品種「平戸夏香」を作り出し、地域の特産ブランドにすることに成功した。さわやかな香りと優しい甘みが特徴的なサマーオレンジ。この「平戸夏香」が返礼品として出るのは5月から7月までの3ヵ月間だけ。期間限定ということもあり、あっという間に品切れになるという。

「ふるさと納税で『平戸夏香』の販売量もだいぶ増えてきたし、丹精込めて作った商品がお客に届いて『美味しかったよ』と言われるのは、やりがいにもなる」(近藤さん)

近藤さんは新鮮な「平戸夏香」を使ったジュースも作っている。このジュースの入ったセットもふるさと納税の返礼品の一つ。さらに、ジュースを作れば量の搾りカスが出るが、これも地域で活用している。その行き先は「坂野水産」の地元の魚の養殖場。絞りカスから、新たな返礼品を作り出していた。その名も「平戸夏香ブリ」。搾りカスを粉々にしてイワシなどのエサに混ぜ込み、ブリに与えている。こうすると、「ブリの臭みもなくなって食べやすくなる」(「坂野水産」の坂野雄紀さん)のだと言う。身からはほんのり柑橘の香りが。平戸夏香ブリは、多い時にはひと月400品が出る人気返礼品となった。

こうしてトラストバンクと協力し、ふるさと納税に取り組んできた平戸市は、昨年度も16億円を超える寄付金を集めた。

無職・派遣から一念発起~「ふるさとチョイス」誕生のきっかけ

© テレビ東京

ある日、須永の元に急な来客があった。やって来たのは福島県庁生活環境部の職員たち。2011年の集中豪雨で、未だ一部不通となっている只見線。その復旧資金をふるさと納税で集められないか、という相談だった。復旧に必要な資金は81億円。5年間奔走してきたが、あと33億円が必要だと言う。

こうした問題を抱える自治体の関係者が、毎日のようにやって来る。

須永は群馬県伊勢崎市のサラリーマンの家庭に生まれた。東京の大学を卒業した時は就職氷河期。なんとか東京で働きたいと50社以上に応募したが、書類選考ではねられまくり、なんと全滅。仕方なく地元に戻り、自動車ディーラーの事務職についた。しかし、「私自身は働くことにすごく夢を持っていて、働く大人は格好いいという思いがあったんです。でもいざ働いてみると、会社の先輩たちはあまり楽しそうに働いていなかった。たったの1年で辞めてしまいました」という。

ところがそのあとは定職に就けず、塾の講師や結婚相談所のアドバイザーなど、ほとんどが派遣社員やアルバイトという立場で職を転々とする。30代ではリーマンショックもあり、1年間失業。その後はITベンチャーに勤務。ウェブデザイナーとして3年間で100以上のサイトを立ち上げるなど、ガムシャラに働いた。

「勤めていた会社では毎月の残業が250時間。睡眠時間を確保したいので、片道6000円かけて毎日タクシーで通っていたので、それでお給料がなくなる生活でした」(須永)

そんな順風満帆とは程遠い暮らしをしていた須永が、今の事業を始めるきっかけがあった。それはふるさと伊勢崎市に帰省した時に、父親と交わしたやりとりだ。須永はホットプレートの購入を頼まれ、地元の電機店を訪ねた。そこにはお目当ての商品があったのだが、値段が気になり、調べてみると通販サイトの方が安かったので、ネットで購入した。 そのことを父親に報告すると、父は「それはダメだ。それじゃ地元に金が落ちないだろう」と嘆いたという。

「その時、私は父が何を言っているのか全くわからなかった。私の中の消費や購入に対する価値観は『安い』『早い』『楽』しかなかった。でも父は、それ以外にもどこにお金が落ちるかという価値観を持っていたということなんです」(須永)

自分の損得ではなく、地域にお金を落とす。この考え方が疲弊する地方に目を向けるヒントになった。そしてたった一人で2012年、資本金50万円でトラストバンクを創業。「ふるさとチョイス」を立ち上げたのだ。

過疎の町に都会から移住~寄付金が地方を変える

サイトを作るにあたり、須永がこだわったのは、寄付金の使い道から自治体を選べるようにすることだった。

「ふるさと納税は課題解決のツールだと考えています。自治体はどういう課題があって、どういう町にしたいかを明確にすることによって、賛同した寄付を集める」(須永)

例えば佐賀県では糖尿病患者を救う研究費用を募り、7000万円が集まった。また岩手県の西和賀町では、2015年の土砂崩れで道の駅が休業に追い込まれた。この時は道の駅の代わりとなるキッチンカーの購入資金を募集。1000万円を集めて買った車は今も大活躍している。地域の産業を守ったのだ。

寄付金の使い道を明確にして、大きな成果を出したのは北海道上士幌町。主な産業は酪農と林業。典型的な過疎の町だった。しかし、「ふるさとチョイス」と手を組み希少な地元のブランド牛を返礼品の看板にして21億円の寄付を集めた。これは町民税の9倍だ。

寄付金の使い道は最初から一貫している。企画財政課の梶達さんは「一般寄付から経費を除いた全てを、子育てと少子化対策に活用させていただいています。都会から移り住んでほしいという思いもあって、子育てに力を入れております」と言う。

少子化対策で町営のこども園を作り、保育料はなんと無料にした。今や園児は140人に。待機児童はゼロだ。寄付金から外国人講師も雇った。絵本やDVDも大量に購入。こども園の給食は無料だ。さらにスクールバスの購入、高校生まで医療費は全額免除など、町に集まった寄付金をありとあらゆる子育て支援に投入したのだ。

2013年に始めた少子化対策は結果を出し、減り続けていた上士幌町の人口は増加傾向に。狙い通り、都会から移住者がやって来た。この10年で120人が移住。「ふるさとチョイス」と手を組んで、町の課題に一定の成果を出したのだ。

ブームの光と影~ふるさと納税はどうなる?

ふるさと納税に対して、収録前、村上龍は「短期的にはすごく地方に役立ったと思う。だけどこれは20年も30年ももつ税制ではないような気がする」と、疑問を口にした。

実際、寄付金を集めようとする自治体の間では競争が加熱。テレビやパソコンなど、高価で還元率が高い返礼品や、返礼品として送られてきた商品券の換金も問題になっている。

また、2000円の負担で済む寄付の上限は収入によって変わる。例えば年収500万円なら、2000円負担で済む寄付金額は6万円まで。これが年収1億円なら435万円に跳ね上がる。大量の返礼品が実質2000円で手に入るのだ。ふるさと納税は収入の高い人ほど得ができる仕組み。合法的な節税ではあるが、都会の住民が地方に寄付すれば、住民税が控除され、住んでいる自治体は減収となる。悲鳴を上げているのは、ふるさと納税による赤字額が多い、横浜市、名古屋市、東京都世田谷区といった都市部の自治体だ。

ふるさと納税ブームが過熱する中、国も動いた。今年3月、総務省は「返礼割合の高い品はすみやかに3割以下にするように」と通達。なりふり構わず寄付を集めようと、地域と関係のない商品や還元率の高い返礼品を送る自治体に対し、釘を刺した。

国がブームを抑えにかかったことで、自治体からは不安の声も上がっている。トラストバンクが開催した全国の自治体職員を集めた会議でも、「ふるさと納税がなくなってしまうこともあるのでは?」という声が上がっていた。こうした声に対し、長年取り組んできたトラストバンクの黒瀬啓介は「(ふるさと納税は)麻薬みたいなものだと思っていて、ふるさと納税なしでは生きていけないという構図になると非常に厳しいと思う」と語る。 返礼品の還元率が3割となり、ブームは終わりという見方もある。

須永はトラストバンクの今後について、スタジオで次のように答えている。

「私たちのミッションは『地域とシニアを元気にする』。人・モノ・お金・情報が、地域でも都市部でも循環しているのが健全な状態であるとしています。今のネットワークを活かして、これ以外のビジネスにも発展していきたいと考えています」

~村上龍の編集後記~

「ふるさと納税」というシステムが、今後も長期的に続くのか、わたしにはわからない。 だが、「ふるさとチョイス」は、圧倒的な情報量、ページデザイン、親切なアップデートなど、サイトとして、驚くほどよくできている。

たとえ「ふるさと納税」に何らかの変化が訪れても、「ふるさとチョイス」の貴重なネットワークは機能し続ける気がする。

ネットワークは、交通網と同じで、時代状況の変化にも対応できる。 「ふるさとチョイス」というウェブサイトが生まれたこと、それは「ふるさと納税」が果たした大きな貢献の一つかもしれない。

<出演者略歴> 須永珠代(すなが・たまよ)1973年、群馬県生まれ。大学卒業後、地元の自動車ディーラーに就職。その後、派遣社員やITベンチャー企業勤務を経て、2012年、トラストバンクを起業、社長就任。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。