東北地方

雀塚という古墳にまつわる話

 

東北地方の民族文化を研究している大学教授が雑談として話してくれた事だが、東北地方には『雀塚(すずめづか)』と呼ばれる古墳がいくつかあるらしい。

 

何も、雀を弔っている訳ではなくて、子供を弔っている。

 

どういう事だろうと思っていると、なんでも昔から飢饉や食料不足になると”口減らし”をしていたという。

 

※口減らし

養うべき家族の人数を減らすこと。

 

長男は家督を継ぎ、女の子は女郎として遊郭に売れるからいいのだが、長男以外の息子(次男や三男)なんかは、居てもしょうがない存在になるそうだ。

 

それで、飢饉や食料不足になると村の大人達が口裏を合わせ、ある晩にある事を決行する。

 

それは、子供達が寝静まった頃、一軒一軒大人達が回って、次男以下の男の子を総出で抱きかかえ、村の近くに掘った深い穴に投げ込むそうだ。

 

投げ込まれた男の子達は、そこで自分の運命に気付く。

 

最初の数日は助けを求める声がして来るのだが、誰も素知らぬ顔をし、でもそれが段々と小さくなって聞こえなくなったら穴を埋めに行く。

 

が、その時にはまだ数人は生きている。

 

なぜなら、”共食い”をしているからだ。

 

それでもいずれは死んでしまい、大人達は穴を埋めて『塚』にする。

 

彼らの魂が鎮まるように・・・と。

 

それが『雀塚』である。

 

そのおかげで食料不足は越えられるのだが、それをやってしまうと、なぜかその集落はそれから男の子が生まれなくなって、集落はいずれ無くなってしまう。

 

そういった集落がたくさん出てきたらしく、皆は考えた。

 

長男の名前に似た名前を一つ考えて、次に生まれた女の子に少し変えて名前を付けた。

 

長男が「かずあき」なら、女の子は「かずこ」、というように。

 

その女の子を次男以下の男とみなし、遊郭にも売らず大切に育てた。

 

なんでも気の持ちようで、それで大丈夫だろうと思うと、普通に男の子も生まれるようになったという。

 

教授は、「埋められた子供達の呪いなんかではない」と言っていたが・・・。

 

なので、もし自分の名前と妹の名前が似ているなと思ったら、それは雀塚の集落の名残かも知れない。

 

(終)

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3日間を祠の中で過ごすという祭り

 

俺の実家は東北の田舎にあり、数年に一度、村全体で『謝肉祭』が開かれる。

 

その祭りのしきたりが少し変わっていて、その年に7歳になる子供と16歳以上の未婚の女を別々の籠に入れて、普段は立ち入り禁止になっている山奥の祠に3日間閉じ込める。

 

しかも、選ばれる人間は必ず村の中で立場の弱い者が中心に選ばれている。

 

そして問題が起こったのは、3回前の祭りの時だった。

約束を守らなかったから・・・

その時は祠に入る人はもう決まっていたが、なぜか村長の親戚の娘が「自分が入る」と言い出した。

 

この女性は7歳の時に祠に入れられた経験のある人。

 

本人がやりたいならやればいい、ということで決まりかけた。

 

だけど、今度は村長がOKを出さなかった。

 

この時はまだ、村での立場の弱い者を選ぶというルールはなかったが、おそらく自分の一族から出すのは格好悪いとかそういうことが理由なんだろうと思う。

 

しかし、その娘は「絶対に自分が入る」と言って聞かなかった。

 

それでも結局、村長が絶対にダメだということで、その娘は選ばれなかった。

 

これは後から聞いた話だが、この時に娘は「自分が入らないと大変なことになる」とか、「約束が・・・」と言って凄くもめたらしい。

 

当然ながら、何を言っているのか意味が分からないし、村長の意向で別の人が2人選ばれた。

 

その2人が祠に入って3日後、籠が祠から運び出されて開けられた。

 

その時に問題が起こった。

 

籠を開けて7歳の方の子は出て来たが、もう一人の方が出て来ない。

 

村人も段々と異変に気づいて、「何だ?!何だ?!」という感じになってきた。

 

籠の中を何人かで確認するが、中は空っぽ。

 

本来なら籠から出てきた人は大体ぐったりしていたり、ボーっとして意識朦朧としていることが多いのだが、この時の7歳の子はブルブル震えて怯えているようで、明らかに何かおかしかった。

 

村人何人かで祠の中を探したりしたが、籠に入っているはずの女性は何処にも見当たらなかった。

 

駐在さんにも来てもらい、翌朝に町から警察官が沢山来て捜索したけれど、やはり女性は見つからなかった。

 

最終的には『行方不明』ということになった。

 

後から村の人たちの間で噂になったことなんだけれど、7歳の子が警察官に色々と聞かれた時、しきりに「守らんかったから来た」と変なことを言っていたらしい。

 

その子も相当なショックを受けたのか、それをただ繰り返すだけで、何が来たのかは「ウルグル・・・」と変なことを言うだけで分からずじまいだった。

 

こういうことがあったから、当然祭りをどうするか話し合いがあったそうだが、ご先祖様たちがここに落ち着くと同時に始まった祭りなので、祭りそのものは存続することになった。

 

但し安全のため、祠に入る人の選定は、審査して問題の無い者を選ぶということに。

 

・・・が、それはあくまで表向きで、実際は何が起こってもいいようにと、立場の弱い者が中心に選ばれるということになった。

 

あの時の7歳の子は今でも村で生活しているらしいが、あまり普通に会話できるような感じではないそうだ。

 

村長の親戚の娘はこの事件の後、何ヵ月かして余所に出て行ったということだった。

 

村長はそれからしばらくして亡くなった。

 

当時でも、この事件について話さないようにという雰囲気が村にあったようで、真相を知りたくても村人たちはそれ以上踏み込めなかった。

 

(終)

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首刈り地蔵にお供え物はするな

 

小学生の頃に両親が離婚し、俺は母親に引き取られて母の実家へ引っ越すことになった。

 

母の実家は東北地方のとある町で、かなり寂れている。

 

家もまばらで、町にお店は小さなスーパーが一軒とコンビニもどきが一軒あるだけ。

 

その町の小学校へ通うことになったが、全学年で20人弱。

 

同級生は自分を含めて4人しかいなかった。

 

越してきて1年半ほど経ったある日、俺は一学年上の子にいじめられるようになった。

 

原因は何だったか思い出せないが、おそらく大した事ではなかったと思う。

 

俺はその子の事が大嫌いで、この世から居なくなって欲しかった。

 

その時、『首刈り地蔵』の事を思い出した。

 

首刈り地蔵の事は、越して来た時に爺ちゃんから教えてもらった。

 

小さな公園の奥の林の中にある、首の無い3体のお地蔵様。

 

「絶対にお供え物をしてはいけない」と言われた。

 

理由は教えてくれなかったが、越して来てしばらくした頃に同級生から教えてもらった。

 

このお地蔵様にお供え物をして「○○を殺して下さい」とお願いすると、その相手を殺すことが出来るという。

 

俺は、「首刈り地蔵にお願いしよう」、そう思った。

誰を殺したいのだろうか・・・

週1回のお弁当の日。

 

おにぎり2つを残し、学校の帰りに首刈り地蔵にお供えし、お願いした。

 

その日の夜、寝ていると足音が聞こえた。

 

ガチャ、ガチャ、と鎧を着て歩いているような音。

 

「足りない」

 

そう聞こえた。

 

ああ、そうか。

 

お地蔵様は3体だった。

 

おにぎりが1つ足りなかったか。

 

翌朝、おにぎりを1つ持って登校した。

 

登校途中にある首刈り地蔵の元へ行くと、2つのおにぎりはそのままある。

 

持って来たおにぎりをお供えしようとすると、「こんのクソガキが!何やってんだ!」と怒鳴り声が聞こえる。

 

後ろから顔見知りのおじさんが走って来て、おもいっきり殴られた。

 

引きずられるように自分の家に連れて行かれ、爺ちゃんと婆ちゃんに怒鳴り声で何かを言って帰っていった。

 

夕方になると、沢山の大人が家へやって来た。

 

爺ちゃんと婆ちゃんはとにかく謝っている。

 

東北弁がきつく、何を言っているか分からなかったが、俺も一緒になって謝った。

 

とにかく大変な事になってしまったらしい。

 

何日か話し合いがされ、うちは『村八分』という事になった。

 

村八分(むらはちぶ)

仲間はずれにすること。村の掟や秩序を破った人や家族に対し、村民全部が申し合わせて絶交するもの。(語源由来辞典より引用)

 

『首刈り地蔵にお供え物をした一家は村八分』

 

昔からそうらしい。

 

実際、村八分がどういうものか知らなかったけれど、それ以上だったのかも知れない。

 

うちの人間とは一切会話が禁止され、スーパーやコンビニでは何も売ってもらえなくなった。

 

母は町の病院で看護師をしていたが解雇され、俺は学校に通わせてもらえなくなった。

 

母と一緒に町役場に抗議しに行ったが、話すら聞いてもらえない。

 

どうにもならない。

 

ここではとても生きていけなかった。

 

東京にでも引っ越そうと話したが、爺ちゃんと婆ちゃんは「ここを離れたくない」と言う。

 

生まれてからずっとこの町で過ごしてきた。

 

「死ぬ時もこの町で死にたい」と。

 

「自分たちは大丈夫だから2人で東京へ行きなさい」と。

 

母はかなり心配していたが、ここに居ては学校すら通えないし、母も働く場所が無い。

 

生活がまともに出来なかった。

 

母と俺は東京へ引っ越すことにした。

 

実家にはまめに電話をし、食品などの荷物を送っていたが、しばらくして電話線を切られたらしく、電話が通じなくなった。

 

町へ買い物に出た時に公衆電話からこちらにかけて来る以外は、手紙が連絡手段になってしまった。

 

帰省した時に電話線を直そうと言ったが、爺ちゃん達はこのままで良いと言う。

 

多分、他にも何かされていたと思うけれど、何か全てを諦めているというか、受け入れているというか、そんな感じだった。

 

それから何年か経ち、俺は高校へ入学した。

 

高校生になっても、あの町の事が頭にあった。

 

とんでもない事をしてしまったとか、爺ちゃん達に悪いことをしたとか、そういう事ではなく、「あれ以来、あの足音と声が未だに聞こえる」からだ。

 

別に何か起きるわけではない。

 

ただ聞こえるだけ。

 

それでも、やはり不気味で良い気分ではない。

 

ある日、運送会社から電話がかかってきた。

 

実家に荷物を送ったのだが、何度行っても留守だと言う。

 

嫌な予感がした。

 

何かあれば電話をしてくるはずなのに、何度行っても留守という事は・・・。

 

すぐに実家へ行くことになった。

 

着いたのは夜遅くなのに、家に明かりは無い。

 

玄関を叩くが、応答が無い。

 

玄関は引き戸なので簡単に外すことが出来る。

 

ドアを外して一歩家に足を踏み入れた瞬間、確信した。

 

ものすごい腐臭がする。

 

母を見ると、少し嗚咽を漏らし震えていた。

 

※嗚咽(おえつ)

声をおさえて泣くこと。

 

中に入って明かりを点ける。

 

どこだろう。

 

寝室かな?

 

玄関を入り右へ進んだ突き当たりが寝室だ。

 

寝室へ行く途中、左の部屋の襖(ふすま)が開いていた。

 

仏間だ。

 

ちらっと見ると、婆ちゃんが浮いていた。

 

首を吊っている。

 

爺ちゃんは同じ部屋で布団の中で死んでいた。

 

母は子供のように泣いた。

 

とりあえず外に出ようと言っても動こうとしない。

 

警察を呼ぼうとしたが、まだ携帯が普及し始めた頃でそこは圏外だった。

 

母と最寄りの交番まで歩いて行った。

 

「爺ちゃんは病死」、「婆ちゃんは自殺」、と警察から説明された。

 

爺ちゃんの後を追って婆ちゃんが自殺をした、そういう事らしい。

 

葬儀はしない事とし、お坊さんを霊安室に呼んでお経をあげてもらい、火葬した。

 

家に帰る日、写真などを持って帰りたいから実家へ寄ってから帰る事にした。

 

財産はこの家以外に何も無いから相続しないらしい。

 

この町に来るのはこれで最後。

 

母が色々やっている間、俺は懐かしい道を歩いた。

 

学校へ登校する道。

 

公園でブランコに乗りながら考えた。

 

どうしようか。

 

もうこの町と一片の関わりも持ちたくない。

 

このまま帰った方がいいか。

 

でも、あの足音と声がある。

 

そうする事こそが、この町との関わりを無くす事なのだと思った。

 

林の中へ入り、首刈り地蔵へ持って来た『おにぎりを1つ』お供えした。

 

何を願おう。

 

誰を。

 

すぐに思い付く名前は無かった。

 

俺は誰を殺したいのだろう・・・。

 

(この町の人間全員を殺してください)

 

そう願った。

 

公園の方を向くと、5~6人の町人がこちらを見ていた。

 

見知った顔もある。

 

向こうも俺が誰だかすぐに分かったと思う。

 

俺が近づいて行くと目を逸らし、誰も何も言って来なかった。

 

俺も何も言わず無言ですれ違った。

 

その後、足音と声は聞こえなくなった。

 

あの町の人達がどうなったのかは分からない。

 

(終)

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禁止されていた海近くでのかくれんぼ

 

俺が小学校低学年の頃の話。

 

もう30年以上も前になる。

 

東北のA県にある海沿いの町で育った俺たちにとって、当然のように海岸近くは絶好の遊び場だった。

 

海辺の生き物を探して無意味に弄(いじ)ってみたり、釣り人に餌を売りつけて小遣いを貰ったりと、無邪気に遊ぶ毎日だった。

 

しかし、『かくれんぼだけは海の近くでやってはいけない』と、周りの大人にきつく言われていた。

 

海の近くは危ない場所が沢山あるし、変な所に隠れて大怪我や命を落とす事故を心配してのものだろうと、子供ながらに理解していた。

 

しかし、理解していると言っても所詮は子供。

 

周りに誰も居なければ、やってしまうものだ。

 

俺と近所のガキ(A太、B朗、C子)の4人でかくれんぼをしたことがある。

神様への生贄か?

当時のガキにしては丸々と太っていた実質ガキ大将のC子が、どうしても「かくれんぼしたい!」と聞かなかったので、俺ら男3人は臆病者扱いされるのも嫌で付き合うことした。

 

渋々始めたとはいえ、海の近くでは変わった窪みがいっぱいあり、とても楽しかった。

 

危険な場所というところは、基本的に楽しいものだ。

 

かくれんぼを始めて1時間くらい経った頃だった。

 

A太が鬼だったが、C子がどうしても見つからないと言う。

 

仕方なくかくれんぼを中断し、男3人でC子を手分けして探すことにしたが、それでもなかなか見つからない。

 

見つからないから諦めて帰ろうとした時、さっき調べても居なかった岩場の窪みにC子を見つけた。

 

ただ、C子は一人ではなく、やたらと立派な和服を着た爺さんが一緒だった。

 

ガキだった俺は、「家の人間が迎えに来たから勝手にかくれんぼを中断しやがったな」、と思ったが、どうも様子がおかしい。

 

普段は大人相手だろうが子供相手だろうが、のべつまくなしに騒ぎ立てるC子がやけに大人しい。

 

※のべつまくなしに(のべつ幕無しに)

ひっきりなしに続くさま。休みなく続くさま。

 

和服の爺さんが何かを話しているのにも反応せず、ただ一点を見つめて動かない。

 

「もしかして、これはヤバイか・・・」と思った俺は、幸い2人共こちらに気付いてないようだったので、そのまま様子を窺うことにした。

 

よく見てみると、和服の爺さんはこんな海沿いだっていうのに全く濡れていなかった。

 

爺さんは一頻(ひとしき)りC子の体をベタベタと触った後、懐から鉄製の串のようなものを取り出し、おもむろにC子の脇腹に突き刺した。

 

俺は爺さんの行動にビビって固まった。

 

しかも、爺さんはその串を一本だけではなく、次々とC子に差し込んでいく。

 

しかし奇妙な事に、血は全然流れていない。

 

C子も、串を刺されまくっているのにピクリとも動かない。

 

そのうち、串を伝って黄色っぽい白くドロドロとしたものが流れ出してきた。

 

すると爺さんは、串の根元の方に白い袋のようなものを取り付け始めた。

 

どうやらそのドロドロを袋に集めているようだった。

 

多分、ものの2~3分くらいの出来事だったと思うが、どうやら袋が一杯になったらしく、爺さんは一つ一つの袋の口を縛って纏(まと)めていく。

 

一方のC子は、あんなに丸々と太っていたのに、いつの間にか干からびたミミズのようになっていた。

 

「ヤバイものを見てしまった!」と思っていると、爺さんが不意に俺の方を向いた。

 

そして何か言おうとしたのか、口を大きく「あ」の形にした。

 

と思うと、後ろから大人の声で、「こらー!くそガキが!あんだけここでかくれんぼするなって言ってんだろ!!」、と怒鳴る声がした。

 

振り返ると、A太の父だった。

 

どうやら、C子が見つからなくて焦った他の2人が大人に報告しに行ったようだ。

 

俺はC子が干物になってしまったことを伝えるのと、変な爺さんから逃げるのに、A太の父の方へ駆け出していた。

 

かなり本気のゲンコツと、もう一怒鳴りされた俺は、A太の父をC子のところまで引っ張っていった。

 

そこには、干物ではなく太ったままのC子が倒れていた。

 

あの爺さんも・・・、串で刺された痕も・・・、キレイサッパリ無くなっていた。

 

結局C子は、かくれんぼ中に転んで頭を打ち気絶していた、ということで病院に運ばれた。

 

C子は、その日の夕方に目を覚ましたらしい。

 

一方、俺ら3人は嫌になるほど説教を食らったが、俺はさっきの光景が目に焼き付いていて、ろくに説教を聞いていなかった。

 

それから数日、C子に変わりは特に無く、いつものようにピンピンしていて、近所のガキの頂点に君臨していた。

 

俺自身も、「アレは暑さでおかしくなってみた幻だろう・・・」と思い込み始めていた。

 

しかし1週間ほどした頃から、C子は痩せ始め、しまいにはその姿を学校で見なくなっていた。

 

どうやら何かの病気をしたらしく、俺は母に連れられて、A太やB朗らと一緒にC子の見舞いへ行った。

 

そこにいたC子は、以前の憎たらしく太っていたC子ではなく、随分と痩せ細った姿だった。

 

しかも、痩せているのではなく、見るからに肌に水気が無く、子供とは思えないほどシワだらけになっていた。

 

あの時に見た干物の2~3歩手前という感じ。

 

俺は、「もうこいつ死ぬんだな・・・」と思った。

 

見舞いから帰ると、俺は母に「爺さんと串に刺されたC子」のことを話した。

 

母は俺の話を聞き終えると、「そう」、と一言だけ言って、どこかに電話をかけた。

 

そして電話が終わると、「明日その時のことを聞きに人が来るから正直に答えなさい」、と俺に言った。

 

普段にも増して「辛気臭いな・・・」、と俺は思った。

 

次の日、学校での授業の途中に校長に呼び出され、校長室で見知らぬおっさんに爺さんとC子の話を訊かれた。

 

おっさんは古い絵を俺に見せ、「その爺さんはこんな格好じゃなかったか?」と訊いてきた。

 

その絵には、みすぼらしい格好をして頭が不自然に三角な男と、あの爺さんのようにキレイな和服を着た男が描かれていた。

 

俺は、「こっち。和服の男の格好に似ている」、と答えた。

 

すると、おっさんは溜息を一つ吐いて、校長にどうやら「アカエ様ではないようなので、これ以上の心配はないでしょう」と言った。

 

校長も、何か安心したような感じだった。

 

その後は俺を無視して、「今年は豊漁になる」だとか、「漁協からC子の家に見舞金を出す」という話をしていたが、俺がまだいることに気付き、すぐに追い出された俺は授業に戻った。

 

結局、C子はそれから間もなく死んだ。

 

C子の葬式で悲しそうにしていたのはC子の家族だけで、他の大人はみんなニコニコとしていて何故か嬉しそうな感じだった。

 

正直、俺もC子が嫌いだったので心の底では嬉しかったが、今まで経験した葬式との違いに、少し不気味にも思っていた。

 

俺の父もC子の両親に、「神様が持っていったようなものだから」、と変な慰めをしていたのを覚えている。

 

その年の秋、あの時に盗み聞いたおっさんと校長の話通り、ここ数十年で一番の豊漁になった。

 

しかし、他所の町の港ではそれほどでもなかったらしく、俺たちの町だけが潤ったそうだ。

 

(終)

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囚人に掘らせたというトンネル

 

10年ほど前の話になるが、就職したばかりで俺は会社の寮に入っていた。

 

当時つるんでいた先輩や友人らと計4人でドライブへ出掛けることに。

 

先輩の車で。

 

行った先は、東北のM市から秋田に抜ける峠道。

 

新道はバイク乗りが集まっているところだったが、先輩が向かった先は旧道の方だった。

 

そこは洒落にならない道だった・・・。

かなりヤバイ目に遭っていた

舗装していないどころか、藪だらけで前も禄に見えない程の車一台通るのがやっとの道。

 

よりによって先輩は、愛車のスカイラインで豪快にそんな道を走らせた。

 

登った先にはトンネルがあった。

 

岩をそっくり刳(く)り貫いたようなトンネル。

 

時間にすれば午前1時を回っていたと思う。

 

以前から『囚人に掘らせたトンネルがある』という噂は聞いていた。

 

ライトに照らされたモヤが動くと、まるで沢山の人が動いてるように見えた。

 

俺は早く戻りたかったが、Uターンなんか出来る広さではない。

 

トンネルを抜けてこの道を進むしか道がないし、先輩は車をトンネルに入れた。

 

先輩や友人は「おっかねえ~」とはしゃいでいた。

 

俺はそれどころではなかった・・・。

 

なぜなら、モヤが車の中まで入り込んでいる。

 

信じられないくらいの湿気が体に纏わり付き、ベタベタとしている感じで体も動かせない。

 

はしゃいでいる周りを見ながら、早くまともな道路に抜けて欲しいと思っていた。

 

トンネルを抜け、藪の中を抜け、やっと車は国道に戻った。

 

気分もいくらか楽になり俺は一息ついたが、考えが甘かった。

 

県境を越えると、国道は川に沿って走る形になる。

 

しばらく走ると脇に『吊橋』があり、先輩は車を止めると言った。

 

「肝試しするべ」

 

冗談じゃない!と思った。

 

あんたの運転と、さっきのトンネルで十分肝試しじゃん!

 

そう言いたかったが、周りの雰囲気を壊したくなくて黙っていた。

 

先輩と友人一人が細い吊橋を渡り始めた。

 

“根性あるなあ”と関心した。

 

ここは結構自殺者が出ているところだった。

 

俺ともう一人の友人は車に残って先輩らを見ていた。

 

臆病者と言われたけれど・・・。

 

友人はどうだったか知れないが、俺にはぼんやりと見えていた。

 

橋を渡ってこちらを見ている先輩らの横に、もう一つの影が並んでいた。

 

先輩らは最後まで気付かなかったようだが・・・。

 

この日はこれで終わった。

 

何事もなく。

 

それからしばらくして、先輩が車で事故をした。

 

車は大破したが、幸い怪我は無かった。

 

懲りずにまたスカイラインを買ってしまうくらいに。

 

ただ・・・、そのすぐ後に先輩の親父さんが亡くなり、先輩は仕事を変えなければならなくなった。

 

事故の借金や親父さんの葬式で金がかかったみたいで。

 

先輩と吊橋を渡った友人の一人は死んだ。

 

バイクの事故だった。

 

外傷は無かったが、事故のショックで心臓麻痺起こしていた。

 

そして病院に担ぎ込まれてしばらくして・・・。

 

元々このバイクは、俺が友人に譲ったものだった。

 

譲った直後に友人は事故で死んだ。

 

バイク事故で死亡のニュースが報道された時、知り合いは俺の事だと思ったらしい。

 

もしかすると、友人は“俺の身代わり”になったのかも知れない。

 

向こうの親に合わせる顔がなかった。

 

もう一人の友人は、肺気腫で仕事中に倒れて入院するハメに。

 

とうとう俺はノイローゼ気味になり、行方をくらました。

 

挙句の果てには自殺未遂まで。

 

今の俺からは想像もつかないが・・・。

 

どこまで”あの肝試し”が関わっていたのか分からないが、あの夜から僅か半年の間にこれだけの事が起こった。

 

今でも俺の手首には、薄っすらとリスカの痕が残っている。

 

後日談

この肝試しの直後、俺は寮を出てアパートに移った。

 

ちょうど友人がバイク事故を起こした直後だったかな。

 

俺がノイローゼで姿を消す前後の話だ。

 

隣の部屋は同僚だったが、俺の部屋の前を通る度に「なんでこいつ線香なんか焚いてんだ?」と思っていたらしい。

 

もちろん俺は線香など焚いていない。

 

今は常備しているが・・・。

 

俺はともかく、先輩や友人はオカルトが好きだったわけでもなかった。

 

この出来事で俺の人生はかなり変わった。

 

今は落ち着いているが、かなりヤバイ目に遭ったんだと思う。

 

そして、ちょうどこの頃だった。

 

母方の家系(叔母二人)が”拝み屋をやっている”ことを知ったのも・・・。

 

両親は俺が小さい頃に離婚していたからだ。

 

霊の類を頻繁に見るようになったのも、言われてみるとこれがキッカケだった気がする。

 

(終)

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