長崎県

修学旅行、どこに行った? 全国1200名調査で圧倒的1位はやっぱり…

(MosayMay/iStock/Thinkstock)

学生時代最大のイベントといえば、やっぱり修学旅行。地域によって、目的地はさまざまだ。

そこで、しらべぇ編集部では、全国の20代~60代の修学旅行に行ったことのある男女1,277名に、「修学旅行にどこに行ったか」を調査。

結果をランキング形式で紹介しよう。

 

■第5位 沖縄県(4.2%)

第5位は沖縄県。

美しい海や首里城・国際通りなど、人気スポットの多い沖縄は、修学旅行地としても人気がある。

また、修学旅行で平和教育を行う学校も多く、ひめゆりの塔など太平洋戦争時の歴史を学ぶことができる点も選ばれる理由だろう。

 

■第4位 長崎県(4.6%)

こちらも南国で温暖な長崎県が第4位。

異国情緒溢れる町並みや、海も山も美しく、食べ物も豊富な点が支持されているのかも。

そして沖縄と同様、長崎県も平和公園や原爆資料館など、歴史を学ぶスポットが多数ある。

 

■第3位 北海道 (5.5%)

第3位は、観光地として人気の高い北海道。

札幌はもちろんだが、函館や旭川、『北の国から』で知られる富良野など、数多くの名所を持つ北海道だけに、修学旅行地としても人気のよう。

美味しいラーメンや海産物を食べ、スキーやスノボなど、ウインタースポーツを楽しんだ経験を持つ人もいるのではないだろうか。

 

■第2位 東京都(12.1%)

第2位は日本の首都・東京都。

関東地区以外の学生にとっては、憧れの場所でもあるだけに、修学旅行地に設定されることが多いようだ。

ちなみに、東京都を修学旅行で訪れた人を地域別に見ると、トップは東北地方。新幹線や飛行機など交通の弁が良く、比較的近いということも、票数が多い原因の1つかもしれない。

 

■第1位 京都府(30.6%)

2位に10ポイント以上の差をつけてダントツの1位となったのは、やはり京都府。

やはり金閣寺や銀閣寺、清水寺ほか見所も多く、日本の歴史を学ぶことができる京都は大人気だ。

長年修学旅行地として親しまれることで、受け入れ体制が整っていることも大きいだろう。

中には「海外旅行」という人もいる修学旅行。あの頃行った場所に再び訪れてみたら、新しい発見があるかも。

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(文/しらべぇ編集部・佐藤 俊治

【調査概要】方法:インターネットリサーチ「Qzoo」調査期間:2017年8月25日~2017年8月28日対象:全国20代~60代の修学旅行に行ったことのある男女1,277名(有効回答数)

絶対に口外してはいけない過去

 

うちの父方の家は長崎のとある島にあって、議員さんも出た名のある家柄でした。

 

その家は、『絶対に口外してはいけない過去がある家』でした。

 

今は父方の家系にあたる人間は私しかおらず、私の父が家出同然で東京へ出てしまい家を継がなかった事と、父の死後、その家を取り潰してしまった為、今は断絶したことになります。

 

父は去年亡くなりました。

 

父方の親戚もいません。

 

だから今ここで書くのも、もはや問題ないと思います。

その島では今もきっとタブーでしょう

それを知ったのは高校1年の頃でした。

 

その家へ遊びに行った時に、爺様から教えてもらいました。

 

「この家は海外への人身売買を生業にしてきた」と。

 

正しくは、人身売買で引き取った子を海外に輸出する前に、ある程度の作法やら言葉を教育するという事を行っていました。

 

その稼業は室町以前から始まり、昭和初期まで続いていたそうです。

 

2002年に95歳で亡くなった爺様も、関わらないでもそれを実際に見ていた、ということになります。

 

まず、全国の農村の子を買って回る業者から子供を引き取ります。

 

爺様が言うには、当時で大体男子が50円、女子が20円程度だったと聞きます。

 

10円が今で言う1万円くらいだったらしいので、人ひとりの命が2万円や5万円程度だったことに驚きです。

 

末端価格でその値段ということは、実際にはその半額程度しか支払われていなかったことでしょう。

 

あまりに哀れですが、それほど困窮していたとも取れます。

 

連れて来られたその子たちは、うちの家で大切に扱われます。

 

綺麗な洋服を着て、美味しいものを食べ、遊んで暮らします。

 

そして、色々と教えていきます。

 

言葉、文字、作法、女子には料理。

 

ですが、全ては洋式の事ばかりです。

 

海外へ往っても困らないように養育したそうです。

 

さて、子供たちはどこに住んでいたのかと言うと、長崎の家は一見2階建てと気づかない2階部分がありました。

 

その2階には一切窓がありません。

 

外から見ても窓が無いので、2階があることさえ分かりません。

 

しかし、当時は煌(きら)びやかな壁紙や装飾が施された部屋がいくつもあり、その部屋に子供たちが引き取られるまでの一時期だけ暮らしていたそうです。

 

1階と2階を繋ぐ階段には、ちょっとした特徴がありました。

 

2階へ上がるのには階段から簡単に上れるのですが、降りる場合には1階から移動階段を渡してもらわないと降りれないようになっていたそうです。

 

つまり、逃げ出せないようになっていたのです。

 

ちなみに、私は爺様にその場所を教えてもらったのですが、移動階段も外されていて上ることが出来ないようになっていました。

 

また、家の中央付近には釣瓶(つるべ)のような仕掛けがあり、一種のエレベータのようなものが置かれていました。

 

※釣瓶

縄や竿の先に付けて井戸水をくみあげる桶。

 

片方の下は井戸になっており、石を繋いで落とすと、滑りの悪くしている滑車がゆっくりと片方に乗せられた盆を上げていく仕組みです。

 

あくまで料理や生活や教育に必要な道具を上げるだけで、人は乗れないモノだったそうです。

 

私が見た時は井戸が埋められていて、ロープも無く、上の暗い穴のところに滑車の車を外したモノがあるだけでした。

 

一番オカルトチックだったのは、発育の悪い子や貰い手が無いまま15歳を超えた女子を殺して捨てる井戸があったこと。

 

本当かどうかは分かりませんが、逃げ出そうとしたり、知能が遅れすぎて役に立たない子は、牢屋に入れて毒で殺した挙句、その井戸から落としたそうです。

 

貰い手が無かった男子は、そのまま近隣の島の人間の労働力として貰われていくことが多かったそうです。

 

私が行った頃には、すでに井戸は跡形も無くなって、庭の片隅に鳥居と鎮魂の為と思われる文字が刻まれた岩があっただけでした。

 

爺様は「幽霊なぞは見たことが無い」と言っていましたが、子を落としてからしばらくは、井戸から声が聞こえることがあったらしいです。

 

でも、この話を聞いてから、二度とその家へ行かないと決めたものです。

 

実際に取り壊しの時も、私は立ち会いませんでした。

 

父は祖父が死んだ時、一切合切の財産は、島で家を管理されていた人に任せることにしました。

 

きっと父も、その呪われた島に行きたくはなかったのではないでしょうか。

 

これらの事は、島では今もきっと禁忌だと思います。

 

(終)

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